ヒヨリミ乃葦

みじかいお話を書きます。

友だちの整理

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高校からの友だちと、友だちを辞めることを決意した。

 

苦手だと思うところがある。それはお互いさまだし、人間関係において、相手の全てに好意をもって接し続けることが、できないのは当たり前だ。

 

自分にとって相手が必要なのかと自問したら、必要でないかもしれないという思いが生まれた。相手にとって自分が必要なのか、必要でないだろうと思う。

 

友だちを辞めると言っても「もう、絶交ね!」というわけじゃない。

 

いつか、また、何か用事ができるかもしれないし、必要となるときがくるのかもしれない。だけど、今は、とりあえず「放っておけ」という意味の、友だち辞めるである。

 

 

 

いつからかはっきりとは意識していないけど、友だち…仮にAさんとしよう…そのAさんから「寛容さ」が失せていった。Aさんは、小さな会社の経営に携わっていた。仕事上の経営主という立場が、Aさんから「寛容さ」を奪い去ったように思う。私はその会社に関与していないし、Aさんから「寛容さ」が消えゆく現場を見たわけじゃない。だけどAさんは私に会うたび、口から批判の火を吐いた。自分が背負っている小さな会社の、愉快なスタッフたちの、「ありえない話」に目を尖らせた。

 

Aさんは、人材に恵まれなかったようだ。実際がどうかなんてわからないけど、とにかくAさんはスタッフを批判し否定し、イライラしていた。そしてそのイライラは、私にも向けられた。

 

ある日、私もAさんに、仕事の愚痴をこぼした。私だって愚痴をこぼしたい。私も私の仕事に関わる人を、批判した。そうして私が吐いた言葉が、なんと私の仕事とは無関係のAさんを批判するという、ミラクルに見舞われた。もちろんAさんを批判したつもりはない。だけどAさんは、私が吐いた否定と批判が自分に当てはまると吠えた。私には、そんなつもりはなかった。でも、つもりはなくても、Aさんは傷つき、吠え、なんだか面倒な状況になった。

 

言葉は恐ろしい。

 

怒るAさんも、恐ろしかった。怖いのではない。私の言葉に過剰に反応し、怒りを露わにするAさんは、常軌を逸しているように感じた。Aさんは、自分の存在が少しでも批判されることに、耐えられないようだった。

 

謝ればいいのだろう。でも私は、Aさんとの一連のやりとりから気づいた。Aさんは、私を見下している。傷ついているから、言葉が辛辣なのではない。考慮せず、感情をぶつけることができるから辛辣なのだ。傷ついたというAさんの訴え。自分の傷には敏感なんだな。他者の批判や否定は、絶対的な存在として当たり前のように口にするのに。

 

友だちは、大抵、似た者同士だ。怒るAさんと、謝らない私。プライドの戦いという沈黙を経て、やんわりと、私はAさんに告げた。「しばらく、関わらない方がいいかも。必要があれば連絡しよう。」

 

Aさんの返信。「必要になったときに、いきなり連絡もしたくないんだけど。」「ま、いーや。」大丈夫、Aさん。私はたぶん、あなたをすぐには必要としないし、あなたも私を必要としない。

 

愚痴を聞かせ、自分のプライドを満たすだけの存在は、互いに友だちじゃない。

 

放っておこう。

必要があれば、縁があれば、また友だちに戻れる。

 

いつかね。